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最高裁判所第一小法廷 昭和58年(オ)733号 判決

上告人 川谷栄治郎 外1名

被上告人 川谷栄治 外2名

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人○○○○○の上告理由第一点について

自筆証書遺言の無効確認を求める訴訟においては、当該遺言証書の成立要件すなわちそれが民法968条の定める方式に則つて作成されたものであることを、遺言が有効であると主張する側において主張・立証する責任があると解するのが相当である。これを本件についてみると、本件遺言書が、遺言者である川谷良太郎(以下「良太郎」という。)が妻の於里から添え手による補助を受けたにもかかわらず後記「自書」の要件を充たすものであることを上告人らにおいて主張・立証すべきであり、被上告人らの偽造の主張は、上告人らの右主張に対する積極否認にほかならない。原審は、右と同旨の見解に立ち、本件遺言書については結局「自書」の要件についての立証がないとの理由により、その無効確認を求める被上告人らの本訴請求を認容しているのであつて、その判断の過程に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

同第二点及び第三点について

自筆証書遺言は遺言者が遺言書の全文、日附及び氏名を自書し、押印することによつてすることができるが(民法968条1項)、それが有効に成立するためには、遺言者が遺言当時自書能力を有していたことを要するものというべきである。そして、右にいう「自書」は遺言者が自筆で書くことを意味するから、遺言者が文字を知り、かつ、これを筆記する能力を有することを前提とするものであり、右にいう自書能力とはこの意味における能力をいうものと解するのが相当である。したがつて、全く目の見えない者であつても、文字を知り、かつ、自筆で書くことができる場合には、仮に筆記について他人の補助を要するときでも、自書能力を有するというべきであり、逆に、目の見える者であつても、文字を知らない場合には、自書能力を有しないというべきである。そうとすれば、本来読み書きのできた者が、病気、事故その他の原因により視力を失い又は手が震えるなどのために、筆記について他人の補助を要することになつたとしても、特段の事情がない限り、右の意味における自書能力は失われないものと解するのが相当である。原審は、良太郎が、昭和42年頃から老人性白内障により視力が衰えたものの昭和44年頃までは自分で字を書いていたことを認定しつつ、昭和45年4月頃脳動脈硬化症を患つたのち、その後遺症により手がひどく震えるようになつたことから、時たま紙に大きな字を書いて妻の於里や上告人川谷栄治郎に「読めるか」と聞いたりしたことがあるほかは字を書かなかつたこと、本件遺言の当日も、自分で遺言書を書き始めたが、手の震えと視力の減退のため、偏と旁が一緒になつたり、字がひどくねじれたり、震えたり、次の字と重なつたりしたため、於里から「ちよつと読めそうにありませんね」と言われてこれを破棄したことなどの事実を認定し、良太郎は、本件遺言書の作成日附である昭和47年6月1日当時、相当激しい手の震えと視力の減退のため自書能力を有していたとは認められないと判断しているのであるが、右認定事実をもつてしては、良太郎が前示の意味における自書能力を失つていたということはできないものというべきであり、原判決には自筆証書遺言の要件に関する法律の解釈適用を誤つた違法があるというほかはない。

しかし、後記説示のとおり、本件遺言書は、他人の添え手による補助を受けてされた自筆証書遺言が有効とされるための他の要件を具備していないため、結局無効であるというべきであるから、原判決の右違法は判決の結論に影響を及ぼさないというべきである。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は原判決の結論に影響を及ぼさない説示部分の違法をいうものにすぎず、採用することができない。

同第四点及び第五点について

自筆証書遺言の方式として、遺言者自身が遺言書の全文、日附及び氏名を自書することを要することは前示のとおりであるが、右の自書が要件とされるのは、筆跡によつて本人が書いたものであることを判定でき、それ自体で遺言が遺言者の真意に出たものであることを保障することができるからにほかならない。そして、自筆証書遺言は、他の方式の遺言と異なり証人や立会人の立会を要しないなど、最も簡易な方式の遺言であるが、それだけに偽造、変造の危険が最も大きく、遺言者の真意に出たものであるか否かをめぐつて紛争の生じやすい遺言方式であるといえるから、自筆証書遺言の本質的要件ともいうべき「自書」の要件については厳格な解釈を必要とするのである。「自書」を要件とする前記のような法の趣旨に照らすと、病気その他の理由により運筆について他人の添え手による補助を受けてされた自筆証書遺言は、(1)遺言者が証書作成時に自書能力を有し、(2)他人の添え手が、単に始筆若しくは改行にあたり若しくは字の間配りや行間を整えるため遺言者の手を用紙の正しい位置に導くにとどまるか、又は遺言者の手の動きが遺言者の望みにまかされており、遺言者は添え手をした他人から単に筆記を容易にするための支えを借りただけであり、  かつ、(3)添え手が右のような態様のものにとどまること、すなわち添え手をした他人の意思が介入した形跡のないことが、筆跡のうえで判定できる場合には、「自書」の要件を充たすものとして、有効であると解するのが相当である。

原審は、右と同旨の見解に立つたうえ、本件遺言書には、書き直した字、歪んだ字等が一部にみられるが、一部には草書風の達筆な字もみられ、便箋4枚に概ね整つた字で本文が22行にわたつて整然と書かれており、前記のような良太郎の筆記能力を考慮すると、於里が良太郎の手の震えを止めるため背後から良太郎の手の甲を上から握つて支えをしただけでは、到底本件遺言書のような字を書くことはできず、良太郎も手を動かしたにせよ、於里が良太郎の声を聞きつつこれに従つて積極的に手を誘導し、於里の整然と字を書こうとする意思に基づき本件遺言書が作成されたものであり、本件遺言書は前記(2)の要件を欠き無効であると判断しているのであつて、原審の右認定判断は、前記説示及び原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立つて原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

よつて、民訴法401条、95条、89条、93条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 佐藤哲郎 裁判官 角田禮次郎 高島益郎 大内恒夫 四ツ谷巖)

上告代理人○○○○○の上告理由

第一ないし第三点〈省略〉

第四点

原判決は、本件遺言者良太郎の自筆能力肯定のための例外的場合として、添え手の場合に、遺言者の手の動きが遺言者の望みに任されており、添え手をした他者から単に筆記を容易にするための支えを借りた場合に限り、添え手による方法を無効と見ず、その場合に遺言者の自筆能力を肯定し得るものとし、右場合を除き、添え手を受けて作成された自筆証書遺言は、原則的に無効である旨判示した。そして本件遺言書作成についての添え手の状況に触れ、本件遺言の場合においては、添え手をした於里が、単に良太郎の手の震えを防止するだけではなく、良太郎の発声に従つて積極的に良太郎の手を誘導し、於里の整然と字を書こうとする意思に基づき作成されたとの事実を認定し、右の例外的有効要件に該当しないとの判断を導いて、これを以て良太郎の自筆能力を否定する理由の一半とした。

しかしながら、原判決が、添え手という補助手段を用いた遺言書作成方法の効力問題の性質を、それ自体、遺言者の自筆能力の有無にかかわる問題としてのみ捉え、即ち、遺言者自身の主体的要件としてのみ理解し、それを自筆証書遺言の方式問題として解釈しなかつたことは、根本的に法解釈の誤謬を犯したものというべきである。添え手の効力論に関する諸学者の見解は、知られる限りでは悉くこれを遺言方式の問題として検討し、遺言者の主体的事情に属する自筆能力の問題とは別個の見地において理解すべきものとしている。自筆能力の問題は、前述の上告理由第二、三点においても述べたように、その概念自体が明確を欠く上に、その肯定の限界は原判決の判示よりも緩やかに解釈されるべき問題であるところから、自筆能力の存在を前提とする自筆証書遺言の方式の問題に属する他の類似の諸問題と同様に、添え手の効力論は、諸学説と同じく、遺言の方法論の当否の見地から、遺言者の主体的要件とはこれを切り離して検討するのが、事柄の性質から見ても、また下記の実情から見ても妥当というべきである。即ち、遺言者が自身で、多くは秘密裡に遺言書を作成しようとするときに、往々にして完全な自筆方式を守らない場合の事由としては、例えば便宜の点で一部分タイプ打ちを利用するとか、自分の手記では字が拙くて不体裁であるとか、用字を誤る懸念があるとか等の諸般の理由による選択が介在し、その理由は決して自筆能力の有無という問題と表裏の関係に立つものではないからである。添え手についても、事情は右と同様であつて、添え手を利用したことが、必ず、強いて独力で自書を行うとしたら、それが可能であつたか否かという事実の反面現象に該当するとは見られるべきではない。殊に、原判決が判示するような添え手における遺言者と添え手者との主導権の判定問題の如きは、それ自体が甚だ微妙な性質の事柄であるばかりでなく、それが常に遺言の全般に通じて判断し得るものとは限らず、又遺言の途中で右の両者の関係が意識的又は無意識的に変化したり復元したりすることもあり、このような事情が一々遺言者の主体的条件の変化に影響するとすれば、この考え方自体に多大の疑問を呈せざるを得ない。従つて、原判決が、添え手の補助を、遺言者の自筆能力の存否問題としてのみ処理し、併せて、自筆能力の内容を究めることなくして、その喪失者にたやすく自筆証書遺言の選択の道を閉す判断を示したこと(理由三(四)(1))は、遺言方式に関する民法第967条及び968条の解釈を誤つたもので、本判決の結論に影響を及ぼしたものであるから、原判決はこの点でも破棄を免れない。

次に本件遺言書に関する添え手による補助状況についての原判決認定について見るに、原判決は甲第1号証(本件遺言書のコピー)によつて、右遺言書の中には、書き直した字、歪んだ字等が一部に、草書風の達筆な字が一部に見られ、全体として概ね整つた字で本文が22行にわたり整然と書かれているものと認定した。しかし本件遺言書のコピーに過ぎない右甲第1号証からでも、判示のような草書風の達筆な字が若干でも存することは全く肯定できないし、そもそも筆跡の点で慎重判断を要する本件遺言書の如きものについては、原本が鮮麗な青インクで書かれているのに対し、これを単に黒色だけでコピーし、インクの濃淡の判然しない写しに過ぎぬ甲第1号証のみに依拠することなく、是非とも右の原本に就いて運筆者の運筆の跡を探るべきであり、殊に右原本の裏面を検するにおいては、運筆の歪み、重なりのほか、運筆の処々の停滞やその継ぎ足しが、全文の各所に多数現れていることが一見極めて明瞭に読み取れるのであつて(上告人は、その一部の写真を資料として提出ずみである)、右原本に見られる運筆状況の事実に対比するとき、「全体として概ね整つた字で」書かれているとの判示は、前記の草書風の達筆な字が一部にみられるとの判示と共に、虚無の証拠による認定又は経験則に反する判断といわざるを得ない。又原判決は、前記の甲第1号証と良太郎の自書能力とを根拠に、添え手者である於里が、遺言者良太郎の手の震えを止めるため手の甲を握り支えただけでは、本件遺言書のような字は書くことはできない旨判示した。しかし右甲第1号証は遺言書の字形だけを示すものであり、良太郎の自書能力に関するさきの判示も、視力低下と手の震えを認めているだけであるから、これだけの資料で、他に何等か証人や鑑定等の資料もなく、又裁判所において何等かの実験ないし経験を経た結果も掲げられていない状況で、判示の方法では本件遺言書の示す文字が到底書くことはできないという判定の甚だ難しい判断が、到底導かれ得るものではない。右判断が、もし事実を示すものならば、それは証拠に基かぬ事実認定であり、もし経験則判断を示すものならば、それ自体が・経験則に反する判断であつて、違法のものといわざるを得ない。原判決はさらに、上揚の資料だけに基き、本件遺言書は、於里が良太郎の声に従つて積極的に良太郎の手を誘導したものであること、本件遺言書が於里の意思(整然と字を書こうとする意思)に基き作成されたものであることを、それぞれ認め、遺言書作成に関する良太郎の意思の存在とその発動の効果を何等肯定せざるが如き認定を為した。右判示中の於里の意思に関する説示は趣旨不明(何となれば、何びとも、字を書くについては、なるべく整つた風に書く積りでこれを行うことは、極めて当然で、このような意思は執筆の通常意思に含まれ、これと異つた特段の意思とは認め難く、また、於里の添え手の目的が良太郎の手の震えを防止して、良太郎にできるだけ整つた字を書かせるに在つたことは明白であるから、良太郎の字の乱れを防ぐ於里の意思を、添え手という行為のための意思とは別個に把握しなければならぬ理由はなく、このような意思を、別の表現で捉えるならば、遺言書に整然と字を書かせる意思とでもいうべく、それが直ちに自らが書く意思に転換する訳はない)であつて、運筆を整えるための協力意思以外の意思として認めなければならぬ理由はない。右判示の於里の意思なるものも、証拠に基かぬ事実認定であるか、又は経験則に反する価値判断であつて、違法のかどを免れない。於里の筆跡は、乙第24ないし31号証によつても一見して明白なように、常に全体として伸び伸びと筆を運ぶ達筆であるに対し、昭和42年頃以後の良太郎の筆跡は、総体的に見て甚だギコチなく、停滞又は屈曲或いは屈折する傾向が著しく、右両名の筆跡は一見して著しい相違がある。本件遺言書文字の全体の傾向は、右の後者即ち良太郎の筆跡の示す傾向に接近したものであり、於里の達者で流麗な筆跡とは全然異なつた趣を示すことは、甲第1号証を一見しただけで、即時に看取し得る点なのであつて、これに反する原判決の前示認定は、到底首肯し難いものに屈する。前示の事実認定の誤り及び経験則違反の判断は、本件遺言書の作成につき添え手を行つた於里がむしろ主導権を以て遺言書を記載したとした点で、添え手の有効要件に該当しないとし、良太郎の自筆能力を否定して遺言書の効力を認めなかつた結論を導く基本的な事実関係及び判断を形成したために、原判決の結論に影響を及ぼした違法であるから、原判決の破棄事由にあたるものといわねばならない。

第五点

原判決は、添え手を受けて作成された自筆証書遺言の効力を原則的に否定し、その例外をも極めて狭く設定した(理由三の(三)と(四))。そして、右の考え方の理由として、(イ)証書の偽造としての筆跡と添え手としての筆跡が区別困難であるために、偽造の判定が至難になること、及び(ロ)添え手者の意思が介入するおそれがあることの2点によつて、遺言者の真意確認が原則的に出来ないためであるとする。しかし所論の(イ)の点は、添え手者の筆跡以外に認められる筆跡の中に、遺言者とされる者の筆跡に合致するものがあることが、もし確認されたならば、その点は、偽造とは区別される添え手としての特徴の証明であつて、添え手が偽造の確認を原則的に不可能とするが故に、これを絶対に排除すべしとする理由たり得るものとは考えられない。所論(ロ)の点は、添え手を是認するについては当然留意すべき点ではあるが、添え手者の意思の遺言文言と内容に対する介入の有無やその程度の如何は、必ずしも筆跡のみによつて判断を要する訳でなく、又その判断につき多少の困難を伴うとしても、それは、たゞ他人の意思介入についての惧れ、その可能性があるということだけを理由として、添え手の補助の道を原則的に閉鎖するよりは、遺言者について補助による自筆証書作成の自由を尊重する方に、遥かに妥当性が認められるべきである。添え手の場合の真意確認不能が原則的という考え方は、むしろ独断に近く、何等の妥当性をも認めることはできない。

自筆証書遺言の長所は、遺言方式として最も簡易であり、証人を要しないが故に最も秘密にしやすい方式である点に在る。また方式として自書が要求される所以は、自書という方法が、想定される各種の方法の中で、遺言者の真意を確かめるにつき、最も確実性の高い方法と見られる点にある。しかしそれも、常に遺言者の真意確保の結果をもたらすに限らぬことは、他人の下書きを写し書きする場合を見れば明白であり、自書の価値は、真意確保の可能性の比類のない大きさに在るが、これを尊重する所以は、自書それ自体の絶対的価値のためではなく、あくまでも真意確保に奉仕する手段としての価値によるに外ならない。そして筆跡というものの重要性もまた、右の手段についての具体的媒介方法に外ならないから、筆跡そのものに絶対的価値がある訳ではない。添え手という補助方法の効力を検討する場合も、右の基本的視点に立つことが必要である。学説においても、「手が震えて運筆に難渋する遺言者のため、他人が遺言者の手を支えて、遺言者の欲する文字を書かせたような場合は、格別の反証がない限り、自筆の要件を満たしたもの」とされ、このことは原判決引用の判例の日附のみならず「遺言書についても、氏名についても同じことがいえよう」(中川善之助、法律学全集相続法334頁)とするもの、遺言者自身自書する能力ありながら、病気その他の理由から、運筆において他人の手助けを受けて作成された遺言についても同様(有効)である(現代の遺言問題、太田武男自筆証書遺言の方式79頁、同旨、注釈民法(26)相続(3)遺言遺留分、久貴忠彦65頁)とするのも、前記視点を生かした積極説であり、反対論は見当らない。これらの積極説には、遺言者の筆跡までも絶対的に確保することを要求しているものはない。中川説は「遺言者の欲する文字」を書かせることで足るとし、太田説、久貴説も単に「手助け」を求めるだけで自書性を認め、乙第59号証の「調停委員必携」(全国の調停手続指導のためのもの)も、これと同様である。

事例が比較的乏しいわが国に比べて、はるかに遺言制度の歴史が長く、事例にも富む西欧諸国に例をとれば、フランス国においては、ナンシー控訴院の判例(1904年10月22日)は「自筆証書遺言作成のため第三者によつてなされた物的な補助は、それが遺言者の手を動かせるための全く消極的役割を演じたにすぎないものであるかぎり、遺言を無効とはしない。特に証書作成において、遺言者が当時冒されていた震えのため、第三者に手を導かせ、この第三者が遺言書の一部の筆記を助けたとしても、この援助が、遺言者を強制することなく、同人に筆記能力を残しながら、衰弱しかつ震える手を支えるだけの目的に出るものであつたときには、遺言は無効とならない。かかる場合、遺言書は遺言者の手によつて全文が自書されたと見るべきである」、と判示する。この判例は、本件と全く同一といつてよい態様の事案につき、原判決と正反対の理由と結論を示したものとして留意されなければならない。学説(プラニヨルーリペール)も右の考え方を支持し、「遺言者によつて全文筆記されてはいるが、遺言者が失明ないしは視力不足のため筆記困難な状態にあつたことから、その手を導く第三者の助力を得た遺言は、遺言者が、それを自発的作品であり、署名を熟考し、第三者は彼に単なる物的な補助を与えたにすぎぬことを認めるならば、それは有効である(破毀院1847年6月28日判決ほか)、」とするもの、また(H・L及びJマゾー)「裁判所は、遺言者の手を導くことによつて第三者が関与すること-導かれた手による遺言-を大目に見ており、遺言者が作成について積極的役割を受け持ち、第三者の導入が単に遺言の表現を容易ならしめるためであつたことが確かな場合には、それは許される(破毀院1951年8月1日判決ほか)、」とするものなどが、主要なものであり、また西ドイツ国においても、近年の公刊著作物において、例えばリユブトウは、「他の誰かが自書による遺言(表示)の作成において、例えば彼が遺言者の腕や手肯を動かせるために、遺言者を助けることは許される、」として、連邦最高裁1967年2月3日の判決をあげ、ゼルゲルージーベルトは「筆記の際に遺言者の手を導くことによつて補助することは、もし遺言者が自己の望む動きを自由にとることができ、そして彼の手がたゞ他人の意思に従うだけのものでない場合には許される、」とし、民法についてのミユンヘン・コンメンタールにも「遺言者の手は他人の支配下にあつてはならない(連邦最高裁1958年5月19日判決)。かかる遺言は第三者によつて書かれたものであつて無効である。遺言者の手が他人の意思に従わず、筆記行為がなおも遺言者の意思に出るものであるかぎり、遺言者への補助は排斥されない、」と説き、遺言者の意思に反する文言及び内容の文書が作成される可能性が否定される条件が存する限り、筆記のための遺言者の手に対する補助ないしは誘導を許容する姿勢を示している(以上の仏・独の判例学説は、乙第61号証の大阪大学教援○○○○作成鑑定、補充書より引用)。

右の西欧諸国の判例・学説に見られる見解が示す要点は、遺言書において遺言者の意思が間違いなく表現されたことが確認できる限りは、遺言者の筆記についての他人の補助・誘導という方法を有効として許容しようというに在つて、その所論の表現及び趣意から、自筆証書遺言制度の求めるものが遺言者の真意捕捉であつて、それが中心目的であり、そのための自書と筆跡の確保はあくまでも手段であつて右の目的に奉仕するところに価値があり、それ自体が絶対的価値又は中心目的ではないことが明白に窺われる。

ところが原判決は、添え手の補助が筆跡の純粋さを乱すこととなるために、真偽の判定を困難化することを最大の理由として、添え手の補助を原則的に排除し、それが単に物理的な支えと同程度の機能を果した場合に限つて右の補助を許容できるとの判示(なほ、これに関して、判例が日附の場合に限定して補助行為の許容を緩和したかの如き判示もしているが、所論判例を右の趣旨にのみ理解するのは原判決独特の考え方であつて、他に同種の見解はなく、支持すべき理由は認め難い)を為し、本件の場合のように、添え手者である於里が、遺言者良太郎の欲する字を、著しい震えや乱れのないように書かせるために、良太郎と同時に自己の添え手を動かすとともに、良太郎の手の動きをも、震えや乱れの生じないように制御しながら、この意味において右の両名が一緒に筆を運んだ事実について、右両名のこの場合のそれぞれの意思の目的から来る意思内容の著しい相違を正確に分析、解明することなく、添え手者於里について、整然と字を書こうとする意思という名称で、それが単に運筆の操作のみに関するもので、遺言者の遺言意思に対置して独立性を認むべき価値を持たない意思概念により、同人が逆に遺言者良太郎を主導したとの認定をしていることは、添え手という人的補助の用具などによる物理的補助方法に対する特色(人間である限り、補助の意思を以て、補助の必要とその方法の限度において自らも自由に手を操作することは、この補助方法自体の備える当然の機能であり、その自由・円滑性にこそ、この種補助手段の得難い特徴がある)を全然理解しない判断というほかなく、右は自筆証書遺言制度の所期する遺言者の真意確保の主目的よりも、却つてその手段に外ならぬ筆跡そのものの確保に目を奪われた一種の本末転倒の考え方に依つたものというべきである。原判決が添え手による補助手段を許容するにつき、判示の如き過度の制約を設けて、これに依拠して本件遺言者の効力を否定したのは、民法968条に定める遺言の自書要件の解釈を誤つた違法があり、また、原判決が本件遺言者の効力否定の結論を導くについて、遺言の方式論のみに終始し、自筆証書遺言についての自書の要件が、あくまでも遺言者の真意確保の目的のために存するものであることは叙上説明の通りであるから、本件において於里の採つた補助手段のために遺言者良太郎の遺言意思の確保につき、一体いかなる程度の支障が生じたか否か、又は少くとも右の支障の可能性(筆跡でなくて意思内容に関するもの)の発生の有無について判断を示す必要があるにも拘らず、原判決は、遺言者良太郎の意思内容及びそれと遺言書に表示された遺言内容との喰い違いの有無について、全然関心を払わず、従つてこの点につき何等の判断をも示さなかつたことは、遺言者の意思の尊重、実現のために設けられている遺言制度の本質、目的の点から見ても、具体的遺言の効力判定の理由としては不備を免れないものというべきである。原判決は右の法解釈の違法又は理由不備のいずれの点からしても、破棄を免れないものである。

〔参照1〕二審(大阪高 昭56(ネ)775号 昭58.3.16判決)

主文

原判決を取消す。

大阪家庭裁判所が昭和49年6月11日検認した亡川谷良太郎の昭和47年6月1日付自筆証書による遺言は無効であることを確認する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

事実

控訴人らは主文と同旨の判決を求め、被控訴人らは「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人らの負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の主張及び証拠関係は、次に附加するほか原判決事実摘示と同じであるからこれを引用する(但し、原判決2枚目裏2行目の「書と」を「書に」に改める。)。

(控訴人らの主張)

一 本件遺言書は次の理由により於里と良太郎の2人で書いたものではなく、於里が一人で書いたものであると解するのが正当である。

(一) 双方が手に力を入れて筆を動かす場合は、運筆の相違による字の乱れが顕著であつて、本件遺言書程度の整つた字は書けない。例えば、2人が書く線の長短が異なるため「節」様部分が生じやすいし、筆のはねの位置、角度の差による転折部の変形などが生じる。「四」の字のように2人の筆癖が著しく異なる場合は文字の体裁をなさなくなる筈である。しかし、本件遺言書には文字の調子に変化がなく、渋滞による「節」「重なり」が僅かしか認められず、転折部の異形、変形文字も殆どない。「四」の字はすべて正常な字形を保つている。

(二) 於里が良太郎の背後に立つて腰をまげ、同人の右手の甲に自らの右手を添えるような不自然極まる姿勢で2時間もかけて書いたとすれば、文字の調子が変わり、疲労が重なつて本件遺言書程度に整つた文字は書ける筈がない。2人で筆の角度を加減し、筆に軽く力を入れて文字が太くならないようにすることは至難の業である。2時間もかかつて書けば、必ず文字の形態、運筆の調子が始めと終わりで変化がある筈なのに、これがなく、本文終わり部分にも疲労による乱れがみられない。於里の証言通りの条件で2人書きすることは到底不可能である。

(三) 本件遺言書では「コト」の字が漢字、仮名の両方が用いられているうえ、書体も草書風、略字体と色々使われているのは不自然である。また、原稿なしに字体を種々変えたり、用紙の端ぎりぎり一杯まで書いたり、長さ3センチメートルの間に3字を書いているが、これが可能か疑問である。

(四) 本件遺言書の内容は次の点において良太郎の発想に到底合致しない。

1 良太郎は、紛争を生じやすいから、共同経営、共有、収益の分配など複数人間に利害関係を生じる共同関係を嫌つており、賃料の分配は良太郎の志向と一致しない。

2 良太郎が中途半端な20万円(遺産の1000分の1位)を悦子に与えるということは到底考えられない。与えるなら桁違いの金額を書いたと思われる。

3 正代を相続させる者に加えているのに、養子縁組をしていない。良太郎の几帳面な性格から理解しがたい。

4 良太郎は母屋を長男の栄治に与え、残りの貸家を4人の子に2戸づつ位を与えようと考えていた。死ぬ少し前頃まで喜美子に貸家を与えると話していた。

二 添え手による自筆証書が有効と認められるためには、形式上筆跡自体から本人が主として書いたことを要する。他人の筆癖が濃厚にみられるようなものは不可である。良太郎の場合は白内障で視力が減退し、手の震えが相当にびどく、本件遺言書のように震えの跡や不自然な線が現われないように書くには、補助者が相当強く良太郎の手を握つて書かねばならない。良太郎が草書風の「家」のような文字は書きえないから、2人書きであるとしても、良太郎は筆を持つだけで専ら補助者の運筆により書かれたと解する外なく、これは良太郎の自筆とはいえない。本件遺言書は2人書きであつても、自書するのを補助したといえないから、自書証書として無効である。

(被控訴人の主張)

一 添え手は自由な運筆に対してかなりの制約となるが、つり手等の物的補助手段を使用する場合と殆ど差異がなく、本件遺言書程度の字体の整いは添え手の場合でも十分可能であることは実験すれば容易に判明する。

二 良太郎は昭和42年1月上旬1通の自筆遺言書を作成したことがある。右遺言書は本件遺言書と比較し控訴人らの取得分に差異があるが、良太郎の財産の主要部分を一括して同人の跡継ぎとした者に与え、その残部をその余の相続人の事情に応じて個々に分与するという基本的構想は貫かれている。右跡継ぎとして栄治に家産維持の信頼がおけないため、昭和47年頃になると、跡継ぎとして栄治郎をあて、同人に承継させるべき財産の内容を是非とも遺言書として明確化しておきたい気持に駆られ、良太郎の強い要望により自己の熟慮を重ねた内容をそのまま素朴な文言に表現したのが本件遺言書である。本件遺言書には、家産を承継させる者として栄治郎の外に限りない愛情を注いでいた正代を加えていること、良太郎の遺産を分散させない方針にも拘らず、喜美子、悦子との均衡を図つて、栄治にも貸家1軒をその所有名義にしたこと、悦子は他家に嫁いで生活が安定していることを考慮して、於里や栄治郎には考えられない程少額の20万円を取得させることとし、旧家族制度的発想が顕著に表われていること、貸家8軒の管理の責任を栄治郎に負担させながら、家賃収入は於里死亡後は栄治、喜美子と3分することにしていること等に良太郎特有の発想がみられ、本件遺言書は同人の真正な遺言であることに間違いない。

三 遺言の自書能力は当該遺言書についての文字の判読力と理解力だけでなく、その文字を自力で書きうるだけの手の機能を具えていることが原則的に必要とされるが、負傷や病気又は老齢のため手の機能に支障を生じ、手を自力で意のままに動かせて文字を書くだけの力を欠く場合、添え手書き方法による遺言は本人の運筆のための補助手段の一種として有効とされるべきである。本人に自書能力特にその基本条件をなす文字の判断理解のための視力が存在する限り、添え手者が本人の意思に反した文字の表出を無難に行うことは不可能であり、添え手書きにより添え手者の意思が介入する危険はない。良太郎の両眼は老人性白内障により昭和43年6月及び昭和46年4月視力は左右とも0.02であり、本件遺言書作成当時も同視力を有していたと推測される。同人は昭和44年帳簿(乙第4号証の3)に運筆に震えがあるが、細字で明確に記載しており、文字の判読理解のための視力に支障がなかつた。従つて、同人が添え手者のために自己の欲しない文字を一字たりとも書かされる余地やおそれは全くなかつた。また、添え手書きの場合、筆跡に本人と添え手者双方の両様の筆跡が可分ないし不可分的に共存ないし混合する文書となるが、これは両者の共同ないし協力的運筆であることが却つて明白となり、それは表出された文字の正常さからみて協同者間に表示対象の食い違いがなく、その作出のため呼吸を合わせた協力操作を行つた結果であることが当然推測されるのであつて、このような特殊な方法で作られた文書に対して、通常の場合の単一筆跡としての判断基準をそのまま適用してその判定の困難さを理由に添え手書きの効力を否定しえない。

四 良太郎は、本件遺言書作成の昭和47年6月1日当時自書能力を有していた。その当時良太郎と同居していて同人の自書能力についてよく知つていたと思われる喜美子は、遺言書開封の際にも、検認の際にも、本件遺言書の字が於里の字だと述べているだけで、良太郎が遺言書作成日附頃遺言書に書かれたような字を書きえなかつたとは述べていない。栄治も検認の際には既に本件遺言書を見てその字体及び内容を知悉していたが、「父は死ぬ間際は書くことは全然駄目だつたが、本件遺言書が書かれた頃は書けないことはなかつた。」旨供述し、悦子も検認の際、良太郎が本件遺言書作成日附頃本件遺言書のような字を書きえなかつたとは述べていない。於里、栄治郎はもとより栄治、悦子、喜美子も、本件遺言書作成日附頃良太郎が自書能力を有していなかつたことは全然考えていなかつたことが明らかである。原審証人於里の「良太郎が書きかけた字は偏と旁りが一緒になつたり、上と下がくつついたり、流れたりして読みにくかつたので、手を持つてくれと言われ、添え手して本件遺言書を書きあげた。」旨の証言と対照して考えると、右証言は良太郎に自書能力がなかつた趣旨ではなく、遺言書を書くというので、同人が緊張したためか平素より一層手が震えたため、偏と旁りが一緒になる等して読みにくい字となつた趣旨であると考えられる。そのため良太郎は於里の添え手の補助を受けて本件自筆遺言証書を作成したのである。

(証拠関係)〈省略〉

理由

一 原判決控訴人ら主張一、二の事実は当事者間に争いがない。

二 被控訴人らは、本件遺言書は良太郎が妻の於里の添え手を受けて筆記したものであると主張し、控訴人らは、本件遺言書は於里が偽造したものである旨積極否認をする。

三 そこで、他者の添え手を受けて作成された自筆証書による遺言の効力について検討する。

(一) 民法が自筆証書遺言を認めた理由は、筆跡の特徴は容易に他者の模倣を許さないので、筆跡鑑定により、遺言者の筆跡であるか他者の筆跡であるかを、比較的容易に判定でき(その結果、証書の偽造・変造を防止でき)、従つて、遺言者の真意を確認できるからである。

(二) 右(一)の立法理由から、文字を読み理解する能力のある遺言者がその意思に基づき遺言内容を他者に口述して逐一筆記させ、その書面を確認のうえ押印したことが証明された場合でも、右書面は自筆遺言証書として無効である。右の場合、遺言者に自書能力(自筆能力)があつても、その自書能力は発揮されていない。

(三) 他者の添え手を受けて作成された自筆証書遺言は、原則として無効である。その理由。(1)右証書に添え手をした他者の筆跡の特徴が出現しても容易に偽造と判定できないから、右証書が他者の偽造によるものか、他者の添え手によるものかの判定が、筆跡鑑定技術発達の現状から考えて、(一)の場合の筆跡鑑定と比較し飛躍的に困難となる。(本件における鑑定人の意見も区々に分れている。)(2)添え手をした他者の意思が遺言者の意思に介入するおそれがある。(3)従つて、原則として右証書によつて遺言者の真意を確認できない。

(四) 他者の添え手を受けて作成された自筆証書遺言は、(イ)遺言者が証書作成時に自書能力(自筆能力。次記(ロ)の支えを借りるだけで書きうるときは自書能力があるといえる。)を有したこと及び(ロ)証書作成の際、遺言者の手の動きが遺言者の望みにまかされており、遺言者は添え手をした他者から単に筆記を容易にするための支えを借りているだけであつたことが、証明されたときに限り有効である。その理由。(1)自筆証書遺言を認めた立法理由から、自筆能力のない者は自筆証書の方式による遺言をなしえない。(2)添え手を受けて作成された自筆証書遺言が原則として無効である前記理由から、右(ロ)の要件の充足も必要である。右(イ)の要件を充足しても(ロ)の要件を充足しない限り、遺言者の自書能力が発揮されたと認めえない。

(五) 大審院昭和6年7月10日判決、民集10巻736頁(遺言者が昭和4年11月5日全文及び氏名を自書し、翌6日他者の添え手を受けて日附を昭和4年11月5日と記載した事案に関する判決)は、「証人Aは、本件遺言書の日附の記載に当りては、筆を持ち居る遺言者甲の手を、訴外乙に於て後方より把つて書かしめたる旨供述し、同供述に依り、原院認定の如く、甲に於て任意に日附を記載し、乙は単に甲の執筆を助けたるに過ぎざる事実を認め得べきが故に、前記日附の記載は甲の自筆に係るものと言うを妨げず。」と判示する。(この判示は民集の「判示事項、判決要旨」欄に記載されていない。)右判示では、甲に対する乙の補助の程度が明確でない。

日附だけ添え手を受けた右事案のような場合、遺言書の根幹部分である全文及び氏名の自書により、右部分につき遺言者の真意を確認できるから、日附につき前記(四)の(ロ)の要件を緩和する余地がある。なお、従来、ドイツ民法は、自筆証書による遺言をするには、遺言者が遺言の内容を自書し署名するほか、遺言書作成の日附及び場所を自書することが要件となつていたが、遺言及び相続契約の作成に関する法律(1938年7月31日法律)第21条(自筆証書による遺言)第2項は、「被相続人がその意思表示を自書した時(年月日)及び場所を表示することは、要件としないが、望ましい。」と規定し、同法は経過規定を除き法統一回復法により、1953年4月1日廃止され、同法第21条を修正して新設されたドイツ民法第2247条は、「(第1項)被相続人は自書し、かつ署名したる意思表示により普通方式の遺言をなしうる。(第2項)被相続人は、その意思表示を自書したる時(年月日)及び場所を表示することを要す。(第5項)第1項により作成された遺言書が作成の時に関する表示を含まず、そのためその効力につき疑を生じたときは、作成の時に関する必要な確定が他の方法によつてなされた場合に限り、遺言書は有効として扱われる。作成場所についての表示を欠く遺言書についても同様である。」と規定し、日附の自書を自筆証書遺言の不可欠の要件としていない。(被控訴人ら提出の鑑定補充書も現行ドイツ民法第2247条を紹介している。)

四(一) 本件遺言書作成時の良太郎の自書能力の有無。原審証人川谷於里の証言によれば、本件遺言書は昭和47年6月1日に作成されたことが認められ、他に右認定を左右する証拠はない。成立に争いがない乙第4号証の3、第42号証の1、第56号証のイないしリ、良太郎が書いた文字を撮影した写真であることに争いがない検乙第1号証の3、原審証人川谷於里の証言及び控訴人川谷喜美子、被控訴人川谷栄治郎各本人の原・当審供述によると、良太郎は昭和42年(当時68歳)頃から老人性白内障により視力が衰え、昭和43年6月に診察を受けた際、視力は両眼とも0.02(矯正不能)であつたが、同人は同年頃は老人会の会計係をしていたので帳簿に記入したりし、また、その頃は手帳を利用して手帳に必要な電話番号等を書き入れ、昭和44年1月には同年度土地評価額表を自分で書いて作成し、同年頃洋服箱に貼りつけるため大きな紙に「無地夏服」と書いたりしていたが、昭和45年4月頃脳動脈硬代症を患い、その後遺症により手がひどく震え、食物や薬を口に運ぶ途中でこぼしたりする程になつたため、時たま紙に大きな字を書いて於里や栄治郎に「読めるか」と聞いたりしたことがある以外は字を全く書かなかつた(右罹患後同人が筆記したものは全く残つていない)こと、良太郎は昭和47年6月1日喜美子方のホームこたつの上でマジツクペンで便箋に遺言を書き始めたが、手の震えと視力の減退のため、偏と旁りが一緒になつたり、字がひどくねじれたり、震えたり、次の字と重なつたり、真つすぐに書かれておらず、於里から「ちよつと読めそうにありませんね。」と言われたためこれを破棄したことを認めうる。成立に争いがない甲第5号証によれば、栄治は本件遺言書検認の際、「父は遺言書の書かれた頃は書けないことはなかつたと思います。」と述べたことを認めうるが、控訴人川谷栄治本人の原審供述によると、栄治は昭和37年結婚後は良太郎と別居し、平常の往き来も殆どなく、同人の日常生活の状況を見聞する機会がなかつたので、同人が脳動脈硬化症に罹思した後も、それ程手は震えていなかつたように思つていたことが認められ、これらの事実に照らすと、栄治は右検認の際確かな根拠もなく想像で右供述をしたものと考えられ、同供述は措信できない。悦子や喜美子は右検認の際本件遺言書作成日附頃本件遺言書のような字を書きえなかつたことは供述していないが、これは良太郎が脳動脈硬化症罹患後は前記のように殆ど字を書いたことがなかつたため、同人の自書能力の有無について知つていなかつたからであると考えられ、検認の際喜美子らが右のような供述をしなかつたからといつて、同人らが良太郎の自書能力を肯定していた証拠となしえない。被控訴人川谷栄治郎本人の当審供述によると、良太郎は昭和42年1月頃遺言書を作成してその後破棄したことが認められ、昭和47年6月1日に遺言書を作成するのが初めてではなく、また、本人は遺言書をいつでも破棄できることを考慮すると、遺言書作成に当り良太郎が緊張したため平素より一層手が震えたと推測しえない。

従つて、良太郎は昭和47年6月1日頃相当激しい手の震えと視力の減退のため自書能力を有していたことを認めえない。

(二) 次に被控訴人ら主張の於里の添え手が前記三の(四)の(ロ)の要件を充足するかについて検討を加える。甲第1号証(本件遺言書の写)によると、本件遺言書のうち、書き直した字、歪んだ字等が一部みられるが、草書風の達筆な字も一部みられ、便箋4枚に概ね整つた字で本文が22行にわたつて整然と書かれていることを認めうる。原審証人川谷於里の証言によれば、於里は背後から良太郎の手の甲を上から握り、良太郎は書こうとする語句を一字一字発声しながら2人が手を動かして本件遺言書を書き上げたことが認められ、これらに前記認定の良太郎の自書能力を考慮すると、於里が良太郎の手の震えを止めるため手の甲を握つて支えをしただけでは到底右認定の本件遺言書のような字は書くことはできず、良太郎も手を動かしたにせよ、於里が良太郎の声を聞きつつこれに従つて積極的に同人の手を誘導し、於里の整然と字を書こうとする意思に基づき本件遺言書が作成されたものと認めるのが相当である。本件遺言書の筆跡は良太郎単独のものであるとする原審鑑定人○○○○の鑑定の結果は前記認定のように良太郎に自書能力を認めえない事実に照らし採用できない。成立に争いがない乙第16号証(○○○○の鑑定書)の記載及び原審証人○○○○の証言は、良太郎が於里の添え手を受け、両名が一緒に力を入れて筆記したが、筆跡は良太郎のものであるとするが、同人が単独で筆記すると前記認定のように偏と旁りが一緒になつたり、ひどくねじれたり、震えたり等して殆ど読めなかつた事実及び成立に争いがない甲第2ないし第4号証(いずれも○○○の鑑定書)並びに原審証人○○○の証言に照らして採用できない。他に前記(ロ)の要件の充足を認めうる証拠はなく、右(ロ)の要件の充足を認めえない。

(三) そうすると、本件遺言書は前記三の(四)の有効な場合に該当せず、結局民法の定める自筆証書遺言の要件を欠き無効である。

五 よつて、これと異なる原判決を取消し、控訴人らの本訴請求を正当として認容し、訴訟費用の負担につき民訴法96条、89条、93条1項本文を適用して、主文のとおり判決する。

〔参照2〕一審(大阪地 昭50(ワ)4364号 昭56.3.30判決)

主文

原告らの請求はいずれもこれを棄却する。

訴訟費用は原告らの連帯負担とする。

事実

(当事者双方の申立)

原告らは「亡川谷良太郎(以下「良太郎」という)が昭和47年6月1日作成した自筆証書として昭和49年6月11日大阪家庭裁判所の検認を受けた遺言書による遺言は無効であることを確認する。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決を求め、被告らは主文と同旨の判決を求めた。

(原告らの主張)

一 原告川谷栄治、同高村悦子、同川谷喜美子はそれぞれ昭和49年3月18日死亡した良太郎の二男、長女、次女であり、被告川谷栄治郎(以下「被告栄治郎」という)は良太郎の三男、被告川谷正代(以下「被告正代」という)は被告栄治郎の長女である。

二 ところで、良太郎が昭和47年6月1日自筆証書によつてなしたものとして昭和49年6月11日大阪家庭裁判所で検認を受けた遺言書(以下「本件遺言書」という)が存在し、右遺言書によると、良太郎の遺産の大部分を被告らに与えることになつている。

三 しかしながら、本件遺言書は、良太郎ではなく、同人の妻川谷於里(以下「於里」という)が作成したものであつて、偽造された遺言書であるから、本件遺言書による遺言は無効である。

四 よつて、原告らは、良太郎の遺産に対する相続分を確定するため、本件遺言書による遺言の無効確認を求める。

(被告らの主張)

一 原告らの主張一及び二の事実は認め、同三の事実は否認する。

二 良太郎は、本件遺言書作成当時、脳動脈硬化症の後遺症のため手の震えがあり、かつ老人性白内障により両眼の視力が0.02であつて自署する能力はあるが執筆に難渋したため、本件遺言書の作成に当つては於里から手を添えて運筆の助けを受けはしたものの、良太郎自身が右手にマジツクペンを持ち次に書く文字を声に出して明らかにしながら、執筆したものであつて、本件遺言書は良太郎の主導により同人の意思に基づいて作成されたものである。

そして、このように手が震えて運筆に難渋する遺言者の為に、他人が遺言者の手を支えて遺言者の欲する文字を書かせた場合、遺言者が自署したものとみるべきである(大審院昭和6年7月10日判決・民集10巻736頁参照)から、本件遺言書による良太郎の遺言は無効ではない。なお、本件遺言書の内容は良太郎の真意に合致するものであつて、この点からしても右遺言は有効である。

(証拠関係)〈省略〉

理由

一 原告の主張一及び二の事実は当事者間に争いがない。

二 まず、成立に争いのない甲第5号証によると、本件遺言書(甲第1号証)は、縦23センチメートル、横17.7センチメートルの白色縦罫の洋質便箋5枚に青色マジツクインクを用いて作成され、「遺言 父死後は○○○町×ノ×××の本家は栄治郎正代に相続させる事 栄治には子供がないからである 貸家其他一切も相続する事 その中×××の藤本(現在藤本に貸してある家)を栄治の名義とする 貸家より生ずる家賃より税金其他法事、交際費貸家に関する一切の費用を差引残りを栄治栄治郎喜美子の三人に分配する事 年に二回する事 悦子には二十万円与える事母生存中は家賃一切を与へる事兄弟四人助け合つて仲よく暮らすやうにたのむ 右必ず実行する事 昭和四七年六月一日 父 川谷良太郎」との文言が、乱れ勝ちの太く大きい文字で記載されており、良太郎名下に同人の丸印を押捺した上、同様の文字で表面に「遺書」、裏面に「川谷良太郎」と記載した縦20.2センチメートルの白色の洋質一重封筒に封入されていたことが認められる。

三 原告は本件遺言書は偽造されたものであると主張するけれども、成立に争いのない乙第16及び第41号証並びに証人○○○○及び証人川谷於里の各証言を総合すると、良太郎は明治32年1月13日の生れで、昭和45年4月71才の頃脳動脈硬化症を患い、その後は手が震えて食物を口へ運ぶ途中でこぼしたり、煙草を取り落したりすることがあつたところ、昭和47年6月1日午前10時頃原告川谷喜美子方においてホーム炬燵に入りながら右手にマジツクペンを持つて便箋に本件遺言書を書き始めたが、手の震えのために意のままにペンを動かすことができなかつたためこれを破棄し、改めて自分の右手を居合せた妻於里に背後から握らせて震えを止め、一字一字書くべき文字を声に出して明らかにしながら、於里に添手をさせたまま自らも手を動かして、約2時間を費して本件遺言書を書き上げたことが認められる。鑑定人○○○○の鑑定は、本件遺言書の筆跡は良太郎単独のものと結論し、成立に争いのない甲第2ないし第4号証(いずれも○○○の鑑定書)及び証人○○○の証言はこれを於里単独のものと結論するが、前者は、本件遺言書中に右鑑定の資料とされた成立に争いのない乙第24ないし第31号証等に照らし明らかに於里の筆跡の特徴を示すものがあるのにこれを看過し、後者は、本件遺言書中に右鑑定の資料とされた成立に争いのない乙第1号証、乙第2号証の1、2及び乙第3号証等に照らし良太郎の筆跡の特徴を示すものが含まれているのに、これが於里の筆跡であることについて首肯するに足る理由を明らかにしないので、いずれもこれを採用することはできない。そして、於里の添手を受けたとはいえ、右認定のように作成された遺言書が偽造されたものであるということはできないから、原告の右主張は失当としなければならない。

四 そこで進んで、右のように他人の添手を受けて作成された自筆証書遺言が遺言としての効力を有するか否かについて考えるに、そもそも自筆証書遺言は、人それぞれの筆跡が固有の特徴を有し容易に他人の模倣を許さないところから、遺言者にその全文、日附及び氏名を自筆させることによつて、遺言者の真意を確保すると同時に偽造・変造の余地をなくし、遺言者死亡後の紛争を未然に回避しようとするものであるから、厳密な意味での自筆によらない遺言は原則としてこれを無効とすべきものと解される。そして、他人の添手を受けて作成された自筆証書遺言は、添手をした他人の意思が遺言者の意思に介入する虞れがあり、また後日遺言の効力が問題とされた場合に筆跡それ自体によつて遺言書の真偽を判定することを困難ならしめることとなるから、原則としてはこれを無効とすべきものと考える。

しかし、一方において、自筆証書の要件を余りに厳格に要求して、遺言すること自体を困難ならしめたり、不必要に多くの自筆証書遺言を無効とする結果を招来することもまた妥当とはいえないのであるから、民法が自筆証書遺言にその定める方式を要求する目的、即ち遺言者の真意を確保し且つ偽造・変造の余地をなくそうとする目的に背馳しない限り、その方式に関する要件はこれを緩和すべきものであつて、他人の添手を受けて作成された自筆証書遺言も遺言当時遺言者がその作成について積極的な役割を果し、添手による手助けは単に遺言者がその意思を表記することを容易ならしめるように止まつた場合には、敢てこれを無効とすべきものではないと解するのが相当である。

五 これを本件遺言書についてみるに、前記乙第41号証、成立に争いのない乙第44号証、証人川谷於里の証言、原告川谷栄治、同川谷喜美子、同高村悦子及び被告川谷栄治郎各本人の供述(いずれもその一部)を総合すれば

(一) 良太郎は大正11年7月31日於里と結婚し、同人との間に原告ら及び被告栄治郎の外に長男武男を儲けたが同人は生後6ヶ月で夭逝し、良太郎死亡当時その相続人となるべき子は原告ら3名と被告栄治郎の4名のみであつたこと

(二) 原告栄治は、○○大学経済学部を卒業して昭和24年○○○○株式会社(当時は合併前の○○株式会社)に就職したが、給料を余り家計に入れないため日頃から妻多美子との折合が悪くまた良太郎の許を訪れることも少く、原告喜美子は、○○女子専門学校を卒業して昭和31年頃一旦結婚したが、昭和37年頃離婚して実家に戻り、良太郎から肩書地の土地建物の贈与を受けてここに居住しており、原告悦子は、○○高等学校を卒業した後、昭和24年10月25日高村ヒサオと結婚したが、その際良太郎はその所有の約20坪の土地とその地上の建物とを他へ売却して結婚の費用にあてたこと

(三) 被告栄治郎は、○○大学法学部を卒業した後株式会社○○銀行に就職したが、昭和42年頃不動産鑑定士の資格を取得して同年5月に退職し、それ以来良太郎と同居し良太郎を助けてその所有の貸家の管理に当つていたこと

(四) 良太郎は、本件遺言書作成当時、その住居の土地建物の外、約10軒の貸家とその敷地を所有していたが、自らの遺産を散逸させたくないとの強い希望を持つていたため、子供達の右の各事情を考えて、その死亡後は本件遺言書記載の通り、右貸家の内1軒を原告栄治に、金20万円を原告悦子に、それぞれ与え、他の不動産は全部被告栄治郎とその一人娘であり良太郎と同居してきた被告正代とに与え、貸家の家賃は、於里の生存中は於里が単独で、その死亡後は原告栄治、同喜美子及び被告栄治郎の3名が分配して、それぞれ取得するようにしたいと考え、本件遺言書作成に先立つて当日朝於里にこの意思を洩らしたこと

(五) 於里は、良太郎の右の遺産分配は不公平だと考えてこれに反対し、良太郎に再考を促したが、良太郎はこれを聞き入れずに本件遺言書を書き始め、前記の如く於里に添手をさせてこれを書き上げたこと

が認められ、原告川谷栄治、同川谷喜美子、同高村悦子及び被告川谷栄治郎各本人の供述中以上の認定に副わない部分はいずれも信用することができず、他に右認定を左右すべき証拠はない。

そして、右認定事実によれば、原告ら及び於里の遺留分を侵害するか否かは兎も角として、本件遺言書の内容は、自らの遺産の散逸を防ぎたいとの良太郎の意思を実現するには一応合理的なものであり、且つ右遺言書は於里の反対の意思を無視して作成されたものであつて、良太郎に添手をした於里の意思はその文言の中に介在しておらず、於里は単に良太郎の意思の表記を容易ならしめたに過ぎないものと認められるから、本件遺言書は、於里の添手を受けて作成されたにせよ、これを無効とすることはできないものというべきである。

六 してみれば、本件遺言書が無効であることの確認を求める原告らの請求はいずれも理由がないことに帰着するから、これを失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第89条、第93条第1項但書を適用して、主文のとおり判決する。

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